• 社会のOSを
    アップデートする、
    これからの
    ソーシャルデザイン

    鈴木 菜央NPO法人グリーンズ 代表理事

    松島 倫明WIRED日本版 編集長

    2018.09.28

創刊12周年を機に、「いかしあうつながり」という新たなテーマを掲げたウェブマガジン『greenz.jp』の編集長、鈴木菜央さん。NHK出版にて、一歩先の時代を捉えたベストセラーの数々を手がけ、今年6月から『WIRED』日本版編集長に就任された松島倫明さん。お二人の対談から見えてきたのは、これまでの対症療法的なソーシャルデザインの限界と、現在の延長線上ではない、新たなOSによる小さな新世界でした。対症療法とは異なる、これからのソーシャルデザインのあり方とは。

以下、容量の関係により、一部内容を割愛させていただきながら、そのエッセンスを余すところなくご紹介します。

そもそも、ソーシャルデザインとは何か?

鈴木:
ソーシャルデザインの定義って、まだ固まりきってなくて、いろんな人がいろんな解釈をしている。それってすごくいいですよね。基本的に僕は、みんなそれぞれが自分のソーシャルデザインを見つけるといいんじゃないかな、と思っています。その前提で僕たちグリーンズは、“ソーシャルデザインとは、社会的な課題の解決と同時に新たな価値を創出する画期的な仕組みをつくること”と定義しています。先ほど第一部で登壇された筧さんの著書「ソーシャルデザイン実践ガイド」では“人間の持つ「創造」の力で社会が抱える複雑な課題の解決に挑む活動”と定義をされていますね。「ソーシャルデザインの教科書」(村田智明 著)という書籍においては、“ソーシャルデザインとは、ひと言で言うと、単なる利益追求ではなく、社会貢献を前提にしたコトやモノのデザインである”と定義されていることからも、幅広く解釈されていることがわかると思います。で、まとめるとこういうことかな、と。

ソーシャルデザインとは、
・デザインする対象は、モノやカタチだけじゃなく、“社会”である。
・社会をつくるのは、政治家や専門家ではなく、一人ひとりの個人である。
・社会を“変える”というよりも、社会の課題を解決したり、よりよい社会を“つくる”ことである。
 そして、そのための“考え方”である。

ソーシャルデザインの歴史を振り返る

鈴木:
1992年にリオサミットがあったこともあり、1990年代は地域環境問題って局地的な問題ではなく、自分たちを含む地球に住む全員の問題なんだ、ってことがわかってきた頃。その中で1995年に阪神淡路大震災が起こりました。ボランティア元年とも言われています。社会を“つくる”のは政治家などの「誰か」ではなく、自分たち自身なんだ、という気運が日本社会で生まれ始めた年とも言えます。90年代後半には、環境問題に向き合うことは文化創造だと捉える動きが強まっていきました。それまで環境問題といえば、公民館の座敷の上で語りあったり、省庁の前でデモを行ったりというイメージで、「環境問題=ダサいこと」って感じでした。ところが、90年代後半、「環境問題=文化創造」というイメージが広がってきた。環境や社会問題をテーマにしながらもファッショナブルな空間でVJやDJがいて、音楽やアートと融合したイベント「BeGood Café」が開催され、200人位が集まったりしていました。当時そこで発信されていた「人生の主役はあなたです。だから環境問題を考えて行こう」というメッセージは大きかったな、と個人的には今でも思い返します。そのほかにも、99年に雑誌「ソトコト」が創刊。僕もそこで2002年から3年間編集に携わりました。明治学院大学国際学部を母体に生まれた「ナマケモノ倶楽部」から社会起業家やアクティビストたちがバンバン出てきたことなども、カルチャークリエイティブの動きが生まれ出した一例かと思います。

2000年に入ってからは、非営利メディアや非営利カフェなどが生まれ、ビジネスじゃない、けど単なる慈善団体でもない「非営利」という形が広まっていきました。「環境ネイティブ」という、子どもの頃から環境問題に接してきた人たちが大人になってきたのもこの頃。あとは参加したい人はそれぞれの場所でそれぞれらしくやってね!というオープンソース型の活動が増えてきたのもこの頃ですね。環境活動がもはや専門家によるものではなくなり、一般の人も自由に参加できる活動になっていった。アースデイ、キャンドルナイトなんかが分かりやすいですね。2006年頃からは、市民の学びが広がっていった時代です(このブームは今でも続いていますが)。シブヤ大学や自由大学などを皮切りに全国に広がり、働き方について考えることもクローズアップされるようになり、社会的起業が注目された時期でもあります。

2011年以降を語る上で欠かせないのは、東日本大震災ですね。グリーンズでは、green drinksというイベントを長年やっているのですが、たまたま震災の数日後にそのイベントを予定していて、そこで地震が起きた。連絡も途絶えて、中止の決定すらみんなに伝えられない状況になりました。しかし、当日蓋を開けてみると、イベントをやっている保証は何もないのに15人くらいが集まりました。仲間に会えたことが嬉しくて、おいおい涙を流して抱きあったのを印象深く覚えています。それ以来、私もgreen drinksやりたい、という問い合わせが爆増して、一気に全国に広がっていきました。この流れは一体なんだろうと考えると、やはり人間というのはコミュニティーがないと生きられない、それを痛感したんじゃないか、と思うんです。そこからDIYブームも加速し、シェアマインドも増加。暮らしから社会に影響を与えていこう、という風潮が強くなってきて現在に至る、って感じですかね。

幸せのドーナツ化現象が起きていた

鈴木:
と、ここまでが前段で(笑)「個人的には、ソーシャルデザインのある種の限界を感じています」というところから話を始めたいな、と。ソーシャルデザインに取り組む人は増えたし、それ自体が一般化した。いいことだとは思うんだけど、グリーンズに近いような内容の記事を出すメディアも増えたこともあり、僕らの立ち位置も今のままじゃダメだよね、と考え出したわけです。で、僕個人が感じたのは、幸せのドーナツ化現象が起きちゃっているな、ということ。僕はこれまで、グリーンズとしての活動を一生懸命やってきました。そんなとき、妻から「私、気が狂いそう」だとか、「あなたがつくりたい社会に私は含まれていないのね」とか言われたんです。さらに、過労でぎっくり腰が酷いことになってトイレにも行けなくなったり、喘息も悪化したり。子どもと一緒に住んでいるのに、たまにしか一緒に公園で遊んだりできないから、夕方には「パパ、また来てね」って言われたり(笑)。そういうことがいろいろ重なって、これはやばいな、と思いました。

松島:
幸せのドーナツ化現象って、中心にいるはずの当事者が幸せになれていないということ?

鈴木:
そうです。僕は「よりよい社会をつくりたいな、そんな社会をつくる動きが広がったらいいな」との思いからグリーンズの活動を続けていたんだけど、気がついたらドーナツのように真ん中にぽっかり穴が空いていて。幸せな社会をつくるために活動をしている自分や家族が幸せじゃなくなっている。幸せになってほしいのは自分がいるここではなく、ちょっと向こう側にある社会になっちゃっていたというか。

松島:
ドーナツの外側にいる人には遠すぎて力が及ばないし、ドーナツの穴の中、空洞にいる自分や家族も幸せでない、と。

鈴木:
そうそう。あれ? オレ、幸せじゃないじゃん、って(笑)。喘息も出て、夫婦仲まで悪くなって、どうしようってなりました。そのときですね。自分はどうやって仕事をしていきたいのか、どう生きていきたいのか。本気で考えました。根本から見つめ直した結果、暮らしを丸ごと、仕事の仕方も丸ごと変えていこう、と。自分の暮らしがなくなるほど詰め込みすぎないやり方で、僕もハッピーになりたいし、世の中の人にもハッピーになってもらいたい。ドーナツの穴の中にいることに気付いたのが2011年頃で、それ以来、その穴を埋めることを考えてきました。

ソーシャルデザインって、
暮らしに余裕がある人だけがするもの?

鈴木:
あるとき、green drinksに来られた方が、「やっとgreen drinksに来たけれど、本当はあんまり来たくなかった」と言うんです。話を聞いてみると、「ここに集まっているような人はキラキラしすぎ。ソーシャルデザインなんて余裕がある人だけができる取り組みだ」ということでした。「本当は自分だってソーシャルデザインのような活動をしてみたい。でも、家族もいるし、今の暮らしから抜け出せない」と。同じような理由で「私はグリーンズを読まない」という人とも出会いました。「グリーンズの記事に出ている人ってキラキラしててまぶしい。どうせ私なんかにはできないって思っちゃう」と。ソーシャルデザインって、もしかして余裕がある人だけができる取り組みって捉えられているのだろうか。仕事で成果を出せている人が、余裕があるから、なんかおもしろいことをやろう、という考えになると思われているのかと。それでいいのか、と悩みましたね。

対症療法的なソーシャルデザインの限界

鈴木:
もうひとつの課題は、「対症療法的なソーシャルデザインの限界」です。ソーシャルデザインにおける多くの活動は「すでに起きている問題に対して、その解決となるようなアイデアを考えよう」ということになっちゃってる。問題が起こる根っこそのものにアプローチできていない。課題の解決にエネルギーを使い果たしてしまっているから、その大元にある課題や、「どんな社会にしていきたいか」ということまで考える余力が残らない、という感じで。それに、確かにソーシャルデザインに取り組む人も増えたし、一般化したとも思うけど、それよりもすごいスピードで社会も環境問題も悪化している。もうどうしたらいいんだ、という感じですよね。これじゃ、OSそのものをアップデートしないと無理なんじゃないか。対症療法的にバグを潰し続けているだけでは、どうやっても追いつかないのでは?と考え始めたわけです。

パーマカルチャーの中に見た、
新たなOSの可能性

鈴木:
そんなときにヒントを得たのが「パーマカルチャー」でした。特に衝撃を受けたのが、ポートランドの刑務所横の余った土地につくられた、ホームレスの村でした。地元のNGO や住人、大学生らと自作したタイニーハウスが40棟ほど立ち並んでいて、真ん中にメインビル(と言っても小さな家くらいのサイズですが)がある。そこにはテレビやパソコン、暖炉があって、また別の場所には、太陽熱と雨水で温かいシャワーを浴びられる設備も整っている。

松島:
かなり快適そうですね。

鈴木:
そうなんです。薪ストーブ用の薪も、自分たちで集めた木材を割ってこしらえたもの。食料は、タイニーハウスの間の道路に置かれたプランターでつくったいろんな野菜を食べているんですね。園芸指導をする先生が来て、ホームレスの人が教わりながら世話をして、収穫して、種類豊富な野菜が育てられている。

松島:
快適すぎて、若者とかが「俺、ここに住みたい」とか言って集まって来ちゃいそうじゃないですか(笑)。

鈴木:
ほんとにね。もう一つ、天井が透明になっている小屋があって、中で育苗までしている。「ガーデニングブームで高く売れるから、近くのファーマーズマーケットで苗を売るんだ」と。毎日植物を育て、ある程度自給自足し、薪ストーブで暖を取る。僕から見ると最先端の暮らしがそこにあるんです。彼らは社会的弱者だからこそ、自然の力を活かして生きていくことができている。これらはすべて、お金がない、お金で解決できないからやっていることなんです。僕らは恵まれているからこそ、システムに組み込まれて、自然とつながった暮らしがしにくくなっている。これは逆説的に僕らの暮らしを問うことになっているなと思いました。

すごいなと思ったのは、ホームレスを弱者扱いして上から手を差し伸べるのではなく、このビレッジ全体で、彼らが自分たち自身で生きていく技術を学べるようにデザインされている点。それだけでなく、僕らのような訪問者やワークショップの参加者が、環境負荷が低くてハッピーな暮らし方をここに来て学べるようにもなっている。この村のあり方自体が活動になっている。

松島:
パーマカルチャーの教科書みたいになっているんですね。

鈴木:
そう。こういう自然と人と暮らしと経済とがつながったデザインがされているのは、とても興味深いです。さまざまな非営利組織が共同プロジェクトを行っていて、いくつかの大学が調査に来ている。日本のホームレスを巡る現状とあまりにも違いがあり、ショッキングでした。ホームレスという「弱い存在」が、様々な人の出会いのきっかけ、学びのきっかけになっている。単純に手を差し伸べるのではなくて、全員がそこから利益を得られるデザインになっているんです。行政としては彼らが健康的に自活してくれることで社会的コストが下がる。税金を投じずに済む。そんなソーシャルデザインがなされているわけです。これはちょっとOSが違うぞ、と思いましたね。

地域通貨が生む、
“ちょうどいい”集合的な福祉

鈴木:
神奈川県藤野の地域通貨「よろづ屋」は2013年頃に始まり、現在500〜600人が参加しています。地域通貨とは、限られた地域内で使える「お金」のこと。「よろづ屋」では通帳方式を採用していて、何かしてあげると互いの通帳に取引内容を書き込み、+−の欄に金額(単位は萬)を書き込む仕組みです。「ベビーベッドいりますか?」「何月何日に駅まで連れていってくれる人いませんか?」などの困りごとが地域の人たちの助け合いによって解決されています。そこでおもしろいのは、弱い人の存在がすごく大切ということ。

松島:
なるほど。先ほどのパーマカルチャーの話と一緒ですね。

鈴木:
そう。ある餃子屋さんのご主人が、店を開くための物件を買ったら貯金が尽きちゃって、店を開くことができない、ということがあって。そこで、地域通貨の掲示板に「相談に乗ってくれませんか」と投げたんです。そしたら「とりあえず集まろう」となり、そこにはプランナーやカメラマンもいて、クラウドファンディングだとか、2割くらい多く食べられる餃子券を事前販売しようとか、購入したのが居抜き物件でモノが残された状態だったので、掃除してフリマしてファンドレイズしようと。「じゃ、俺、写真撮るわ」「私、ポスターつくるわ」ってなって。それらの費用は全て地域通貨で支払われるんです。地域通貨っていくらマイナスになってもいいんで、困りごとを助けてもらったら地域通貨をバンバン支払える。そして、何ヶ月か後に遂にオープンしたんですよ。そしたらもう、すごい行列!

松島:
地域通貨によって、社会関係資本がそれだけ集まっていたってことですね。菜央さんのところ(千葉県いすみ市)でも地域通貨をやっていますよね。規模はどれくらいですか?

鈴木:
初めて2年ほど経ったところで、今160人ほど。「収穫前の梨が台風で落ちちゃったから、取りに来てくれたらあげるよー」って投稿があったときはみんなが集まって、それからしばらくの間、仲間内のレストランでは梨のコンポートが無料で提供されたりしました。「タダでもらった梨でつくったからお金はいらない」って。さっきの餃子屋さんもそうなんだけど、困りごとをさらけ出すことによって、すごく関係性が深まるんです。あの人にあんな才能があった、この人こういうことに興味あったんだ、とかが見えてくる。弱みを出すことによって、コミュニティがつながっていくんです。

松島:
通貨ってそもそも何であるかっていうと、相手のことは信用できなくても、お金は信用できるから価値交換の媒介になるという役目ですよね。でも地域通貨は、それとは全く逆のことをしている感じ。相手のことを信用できる顔見知り同士であれば、通貨でなくても価値を交換できるシステムがつくれるんですね。「ドーナツ経済」って言葉があるんですが、ドーナツのあまりにも真ん中だと経済が小さすぎて回らず、外側すぎるとフェイスレスな単なる通貨の交換経済になっちゃうから地域に責任を持たなくなる。だから、真ん中すぎないし外側すぎもしない、土星の輪みたいなところにちょうどいいスイートスポットがあるよねって話。「ちょうどよさ」ってのは言語化しにくいけれど、そこが一番言いたいことですよね。

鈴木:
まさにそう。例えば、いすみにもともといた人に「地域通貨やりませんか?」と言っても、「いや、俺なんでも無料であげあう仲間や貸し借りする仲間がそもそもいるから」と言われます。地域通貨やっている仲間内でも、本当に仲よくなってくると、通常のやりとりなんかいらない、ってなってくる。ドーナツ経済の真ん中はたぶん、地域通貨すらいらないんですよ。一方、外側すぎるとお金で解決した方が早くて便利になってくる。今の経済に足りないのは、やっぱりドーナツの部分なんですよね。地域通貨の仕組みって、大げさに言えば、集合的な福祉とも言える。いろんな人がいろんなところでちょっとずつ助かる。何か困りごとが生じたときに、専門機関や行政の制度などに頼らずとも、この地域に住むみんなで解決しあえる。何かあったときには助けてもらえるという安心感が大きいと思いますね。

還元主義から関係性のリデザインへ

鈴木:
地域通貨って、関係性のリデザインというか。現状の関係性を“いかしあう関係性”にリデザインするとも言える。僕が感じるソーシャルデザインのある種の限界というのは、個別の問題というよりは、社会そのもののOSの限界なのかもしれない。今の社会のOSは、個別解決、還元主義ですよね。世界は複雑だけど、一つ一つの要素に切り分けていって、その極小の部品をそれぞれ解決すれば社会はよくなる、という。そうじゃなくて、これからは全体として社会を捉えていく必要がある。社会全体をシステムとして捉えて、何をどういう関係性につくり変えていけば課題を解決できるのかという、還元主義とは全く異なるアプローチが必要だと思います。そういう意味で、対象そのものを考えるよりは、対象との関係性を考える、関係性をつくり変える、ってところにステージが移っていると僕は考えています。

38億年続く生態系こそ関係性の最強事例

生態系は、38億年かけてトライ&エラーを繰り返してきたシステム。ものすごく精密で複雑なシステムです。そのシステムの中に人間がいます。太陽が昇って気圧が下がり、風が吹き、海水が蒸発して雲が生まれ、雲が山にぶつかって雨が降る。その生態系の恩恵があってはじめて私たちは生きることができる。その上で社会が成立し、さらにその中で経済を回している。例えば経済のこと一つを考えるときも、ミクロ視点であれこれ考えるのではなく、もっと全体像を捉え直したほうがいい。つまり僕らは今、全体像という意味で、生態系の関係性について学んでいくべきなんじゃないかなって思っているところです。

松島:
ある種ホリスティックな捉え方ですね。生態系は様々なOSが入りながらも38億年生きながらえてきたわけですけど、一方で人間の認知の限界ってあるじゃないですか。目の前の図をどこまで認知できるかっていう。そこにどうアプローチしていくかってことだと思うんですよね。

鈴木:
それは僕も感じます。グリーンズの新しいテーマに「いかしあうつながり」という言葉を立てました。さっきの幸せのドーナツ化現象を僕なりに解消したいと考えたときに、ローカルだと思ったんです。僕もハッピー、家族もハッピー、地域もハッピー、さらに言えば、社会も未来の世代もハッピーというのを中心から広げていけたらいいな、と。そう考えて、実験を始めたのが4年くらい前です。そのベースになるのは、小さな暮らしなのかなと考えました。例えば家が小さければ光熱費も少なくなるし、家のコストやメンテナンスにかかる手間も半分で済む。そこから余裕が生まれるんですよね。暮らしを小さくすれば、たくさんお金を稼がなくても豊かに生きていけます。

いすみローカル起業家プロジェクト

鈴木:
小さな暮らしをベースにしつつ、2年前から、いすみローカル起業プロジェクトというのを始めました。いすみで起業したい人45人くらいが参加していて、年間を通じてワークショップやイベントを通じて起業を応援しています。このプロジェクトには起業したいけど何をしたらいいかわからない、という人から、起業数年目で一人目を雇いたいんだけど……という人まで参加していて、起業家同士がお互いにサポートしあう、そんなネットワークと呼べるコミュニティーをつくっています。地元で起業する人は地元から素材・材料を買って、将来的には地域から出て行くお金も減っていきます。1人から数人、もしくは数十人を雇う規模にまで成長する可能性だってある。いすみローカル起業家プロジェクトは、僕らなりの新生態系づくりと言ってもいいかもしれません。

最近は新たに部活動システムも始めました。誰でも部活動を始められますという触れ込みで、自給部(自分でつくって自分で食べる)、起業部、盆踊り部などがあります。社会活動と自分の暮らしを楽しくする活動をごちゃ混ぜにしてみんなでやっているんです。

自分の幸せからはじめる、
小さく新しいOSの世界

鈴木:
僕としては、ホリスティックに、地域のこと、未来のこと、自分のからだや家族との関係、全部がじわっとよくなっていくのがローカルの活動のおもしろさだと思っていて。何よりもまず、自分の心が満たされること。そのあと周りに広げていくっていうことなんだなって。いきなり世界全体のOSを変えるよりは、まずは自分の周辺で、新しいOSの暮らしやシステム、デザインをつくれる人と一緒に学びあいながら育てていきたいなと思います。

今、こういう状況になってるってことがわかってきた時代で、じゃ、どうするの? の答えを誰もまだわかっていない、一番おもしろい時代なんじゃないかなとも思います。こういう問題を解決していけるのはやっぱり、クリエイティブマインドを持った人たち。新しいデザインをみんなで実験しながらお互いに共有していけたらいいなと思いますね。

エピローグ:新たなOSの広げ方

会場からは、地方に移住するなどして、今日話に挙がった地域通貨などの先進的な考え方や、素敵な暮らしを広げ、コミュニティーをつくりたいと思ったときに、よそ者に等しい自分が地域で新しい思考を浸透させていく方法を知りたいとの声が挙がった。

鈴木:
自分でも実践してみて、地域通貨は地元の人のニーズを満たさないので、地元の人自身は興味がないことがわかりました。先ほど言ったように、そんなものなくてもやっていけるので。なので、それとは別に新しく「いすみ未来百人会議」という取り組みを始めています。要は、地元の人のニーズを満たす活動があればいいと思ったんですね。「百人会議」と称して、みんなで集まっていすみの未来について話します。「いすみの未来」については、みんなが平等な視点に立てるので、やってみてこれはすごくおもしろいということで、運営委員会には地元の方も参加してくれています。コツというほどのことでもないですが、移り住んだ自分たちだけでなく、地元の人のニーズが満たされることが重要。かつ、あんまり無理をしないのも大切な気がしますね。

鈴木 菜央
NPO法人グリーンズ 代表理事
76年バンコク生まれ。6歳より東京で育つ。高校卒業後、阪神淡路大震災のボランティアを経験、99年よりNGOアジア学院にて1年間自給自足コミュニティでの農的生活を経験。2000年より外資系建築コンサルタント会社に勤務、02年より3年間「月刊ソトコト」にて編集・営業として勤務。05年に独立、フリーランスとなり、06年「ほしい未来は、つくろう。」をテーマにしたWebマガジン「greenz.jp」を創刊。千葉県いすみ市在住。家族4人で35㎡のタイニーハウス(車輪付き)+小屋にて、小さくて大きな暮らしの実験中。2016年、築百年以上の古民家と2600坪の敷地で暮らしづくり、社会づくりを学ぶ「パーマカルチャーと平和道場」プロジェクトを開始。著作に『「ほしい未来」は自分の手でつくる』(講談社 星海社新書)。
鈴木 菜央
NPO法人グリーンズ
代表理事
76年バンコク生まれ。6歳より東京で育つ。高校卒業後、阪神淡路大震災のボランティアを経験、99年よりNGOアジア学院にて1年間自給自足コミュニティでの農的生活を経験。2000年より外資系建築コンサルタント会社に勤務、02年より3年間「月刊ソトコト」にて編集・営業として勤務。05年に独立、フリーランスとなり、06年「ほしい未来は、つくろう。」をテーマにしたWebマガジン「greenz.jp」を創刊。千葉県いすみ市在住。家族4人で35㎡のタイニーハウス(車輪付き)+小屋にて、小さくて大きな暮らしの実験中。2016年、築百年以上の古民家と2600坪の敷地で暮らしづくり、社会づくりを学ぶ「パーマカルチャーと平和道場」プロジェクトを開始。著作に『「ほしい未来」は自分の手でつくる』(講談社 星海社新書)。
松島 倫明
WIRED日本版 編集長
1996年にNHK出版に入社。村上龍氏のメールマガジンJMMやその単行本化などを手がけたのち、2004年から翻訳書の版権取得・編集・プロモーションなどを幅広く行う。2014年よりNHK出版放送・学芸図書編集部編集長。手がけたタイトルに、ベストセラー『FREE』『SHARE』『MAKERS』『シンギュラリティは近い』のほか、『ZERO to ONE』や『限界費用ゼロ社会』、『〈インターネット〉の次に来るもの』など多数。一方、『BORN TO RUN 走るために生まれた』の邦訳版を手がけて自身もランナーとなり、今は鎌倉に移住し裏山のトレイルを走っている。『脳を鍛えるには運動しかない!』『GO WILD 野生の体を取り戻せ!』『マインドフル・ワーク』『NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる』など身体性に根ざした一連のタイトルで、新しいライフスタイルとウェルビーイングの可能性を提示してきた。2018年6月に『WIRED』日本版編集長に就任。
松島 倫明
WIRED日本版
編集長
1996年にNHK出版に入社。村上龍氏のメールマガジンJMMやその単行本化などを手がけたのち、2004年から翻訳書の版権取得・編集・プロモーションなどを幅広く行う。2014年よりNHK出版放送・学芸図書編集部編集長。手がけたタイトルに、ベストセラー『FREE』『SHARE』『MAKERS』『シンギュラリティは近い』のほか、『ZERO to ONE』や『限界費用ゼロ社会』、『〈インターネット〉の次に来るもの』など多数。一方、『BORN TO RUN 走るために生まれた』の邦訳版を手がけて自身もランナーとなり、今は鎌倉に移住し裏山のトレイルを走っている。『脳を鍛えるには運動しかない!』『GO WILD 野生の体を取り戻せ!』『マインドフル・ワーク』『NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる』など身体性に根ざした一連のタイトルで、新しいライフスタイルとウェルビーイングの可能性を提示してきた。2018年6月に『WIRED』日本版編集長に就任。

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AMDグループは、ブランディングで培っ たノウハウをもとに、
あらゆる企業活動の先にある社会を常に捉え、
企業課題、社会課題の解決に取り組むクリエイティブカンパニーです。