• 前例がないビジネスを
    支え続ける
    自己成長より大切な、
    仲間への思い

    山崎 大祐株式会社マザーハウス 取締役副社長

    2018.12.14

「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という山口絵理子さんの熱い思いのもとスタートしたマザーハウス。単身バングラデシュに渡り、ジュートバッグの製造から始まったビジネスは現在、バッグのみならず、ストールやシャツ、ジュエリーなどをアジア5ヶ国で生産するまでに成長を遂げました。その物語のすべてを山口さんのすぐ隣で見つめながら、13年間、副社長として経営面を支え、二人三脚を続けてきた山崎大祐さん。語られたのは、新たな事業を模索するすべての人に届けたい、珠玉の言葉の数々でした。

以下、容量の関係により、一部内容を割愛させていただきながら、そのエッセンスを余すところなくご紹介します。

途上国から、
世界に通用するブランドをつくる

私たちマザーハウスは、2006年に当時アジア最貧国だったバングラデシュをビジネスの舞台として創業しました。2009年には現在アジアで最も貧しいと言われているネパールに進出。ロウシルク、カシミア、リネン、ウールなど、ネパールの上質な天然素材を使い、約400人のおかあさんたちが手紡ぎ・手織り・手染めして、素敵なストールやセーターに仕立ててくれています。

2015年からはインドネシアに進出。伝統工芸が根強く残っている古都ジョグジャカルタで、線細工の技術を応用したジュエリーをつくっています。オリジナル配合した金や銀といった金属素材をワイヤー状にして曲げながらジュエリーに仕上げたものです。次いで2016年、スリランカに進出。輝く島を意味する国名のスリランカは、いろんな鉱物、石が採れる国。その資源を用いて、繊細なカット技巧を施し、新しい光を放つジュエリーなどをつくっています。お客様からのリクエストもあり、ブライダルジュエリーも始めました。そして今年、インドのコルカタへ進出。インド独立の父であるガンジーが主導し、イギリスからの経済的独立を目指してつくった生地“カディ”を使用したシャツをつくっています。

ものづくりの入り口から出口までを、
自分たちの手で

商品は日本・香港・台湾の直営店を中心に販売しています。ものづくりの向こう側をきちっとご覧いただきたい、知っていただきたい、というのが、直営店での販売を大切にする私たちの思い。途上国には可能性があることも、素晴らしい生産者がいることも知ってほしい。素材選び、素材づくり、ものづくり、店舗づくり、カタログ制作、ストーリーテラー(店舗スタッフ)による商品のご説明まで、すべてを自社で行うことを大切にしています。同時に、ものづくりの現場からもお客様が見えないと本来のあり方ではない。作り手から使い手まで、すべての人に意味を感じてもらい、ものづくりから生まれた『もの』を扱う関係性が理想。その理想を軸に、価値観の違いなどでぶつかったとしても、正面から解決していけるような会社を目指したい、人種や宗教の垣根を越えて笑い合える世界につなげていきたいと考えています。

こうした思いから、現地の工場見学に行くツアーもやっています。ネパールへシルクのストールづくりの源流を見に行くツアーでは、蚕を育てている村にまで足を運びます。逆に、その年活躍した生産地の職人たちが日本を訪れることも多くあります。お客様を前に話してもらうのですが、途上国の職人の中には、小学校しか卒業していない人もいます。そういう背景の中、日本で何百人というお客様を前に、ものづくりへの思いを語ったり、技術を披露したりすることは、彼らにとって夢みたいな話です。このように、僕たちは常にお客様と作り手の垣根を壊していくことを大切にしています。

思いの原点が、自らの道を歩ませ続ける

実は山口は小学校にほとんど通っていません。いじめられていたからです。人間関係のつまずきから中学時代には非行に走り、喧嘩に勝てるようになりたいと柔道を始め、高校では柔道一本。国内ベスト7になり、全日本代表候補にも選ばれました。しかし、同じ階級には当時、絶対的女王・谷亮子さんがいました。ただの一度も勝てなかったそうです。そのとき、谷亮子さんと自分の柔道への思いの差に気がつきます。自分の原点は谷亮子さんのように幼い頃からの柔道を極めたいという意志ではなく、いじめられていた経験から来たものだと思い至ったのです。そこから教育の道を志し、猛勉強の末、偏差値45から慶応大学に合格。ところが、入学しても大学の勉強についていけず、居場所がなかったそうです。そんな中、たまたま知ったのが、途上国では、学校に通えず、教育とは無縁の環境で暮らす子どもたちがたくさんいるという事実でした。

そこで大学3年のとき、ワシントンにある憧れの国際機関でインターンとして働きました。しかし、そこで感じたのは大きな違和感。貧しい国の人の暮らしをよくするために存在する機関のはずが、現場感がない。自分の仕事から途上国の人の笑顔が生まれている実感がまったく持てない。その違和感について同僚に尋ねると、「私たちの仕事は予算を配分すること、政治家と折衝していくこと」と返されてしまう。感じた違和感を自分の目で確かめるために、山口はワシントンからアジア最貧国・バングラデシュへの直行を決意します。

職人の心根に見出した、小さくも強い光

ワシントンから一転、バングラデシュの空港に着くなり、目の前に広がる貧しさに言葉を失ったそうです。見たこともない眼差しのストリートチルドレン、信号より多い物乞いの人々、強烈な臭い。あまりの景色に、「数日滞在した程度では、ここのことはきっと何もわからない」と思ったそうです。そして、そのままバングラデシュの大学院に進学することを決意。就職活動を経て内定ももらっている、確かな将来への道がある状況にもかかわらずの決断でした。

山口は、大学院時代にいろいろな角度からバングラデシュを考えたのだと思います。確かに自分は、貧しい人を助けたいと思ってここにいる。しかし、日本人は貧しい僕らを助けてくれて当たり前だよね、と言われてしまうと違和感を感じてしまう。一方で、多くの援助金が国に入ってきているはずなのに、一生懸命自分たちの暮らしをなんとかしたいともがいている人のもとにはまったく渡っていない現実への苛立ち。途上国に、本質的に必要なことはいったい何だろうと考え続けた日々。

大きな気づきを得たのは、工場での光景。当時のバングラデシュはデモやストライキがあちこちで起こっている政治状況。にもかかわらず、締切は守らなくちゃいけないという正義感で、目の前の仕事に一生懸命向き合う職人たちがたくさんいたそうです。確かに、できあがったものは安かろう悪かろうな品かもしれない。それでも、希望はここにあると山口は強く感じたそうです。諦めや苛立ちが渦巻く外部の騒音と隔てられた、この工場の中で働く人々の心根に確かな光がある。ここでものづくりをすれば、ビジネスができるかもしれない。同時に、ジュートという麻の素材に行き着きます。ジュートはバングラデシュでは道端でも見かけるような、ありふれた素材。しかし、バングラデシュが世界に誇ることができる数少ない素材でもあります。「これでバッグを作ってみよう。」

マザーハウス、誕生

山口は日本に一時帰国。そこで必死にアルバイトして貯めた50万円を握りしめて再びバングラデシュに渡り、「これでバッグをつくってくれませんか?」といろんな工場を回りました。24歳の日本人の女の子が飛び込みで行ってもまったく相手にされない中、「そこまで言うなら。現金支払いなら希望のバッグをつくってあげるよ」と言ってくれた工場がありました。50万円が160個のバッグになった。それがマザーハウスのバッグ第1号です。ここからマザーハウスの歴史が始まりました。

160個のバッグとともに帰国した山口から、僕はまとめて10個くらい買いました。僕と彼女は、大学のゼミの一年先輩後輩の関係で、ゼミ時代にいろいろな議論を交わした仲間です。僕は金融業界のあり方は間違っているという意識が在学中からあり、自分の目で確かめるため金融のど真ん中に行こうとゴールドマンサックスに入社。エコノミストという仕事をしていました。僕のところにバッグを持ってきてくれた理由は、僕がゴールドマンで働いていることを知っていたからでしょうね(笑)。そのときに、「こういうことをやりたいんだったら、きちんと会社をつくらなきゃいけないよ」と伝えました。驚くべきことですが、当時、まったく何もなかったんです。会社もなければ売り場もない。後先のことを何も考えずに、とにかくバッグをまずつくっちゃった。それから二人でお金を出し合ってマザーハウスという会社をつくりました。マザー・テレサの「マザー」と、誰しもが安心できる第二の家「ハウス」からの造語です。

自己成長なんかより、
遥かに大きな仲間の存在

160個のバッグをなんとか完売させると、山口はその売上をもって再びバングラデシュに戻り、今度は600個のバッグをつくってきました。クラウドファンディングなんてない時代、すべて人づての手売りです。1万5千円〜2万円くらいするバッグを600個。手売りで売り切れるわけがないですよね。いきなり在庫の山です(笑)。もうお金もないし、この600個の在庫の山どうすんの? 会社もやめようって話になりました。

僕はまだゴールドマンを辞めずに働いていて、山口が一人で活動しているという状況でした。そんな中、僕の自宅に、仲間である有志が夜な夜な集まってきて、どうにかしてこの600個を売り切ろうとアイデアを出し合う日々が続いていました。今でいうプロボノですね。昼間は本業で働いて、夜10時半くらいに帰ってくると、みんなが僕の家にいる(笑)。鍵も渡していたので、僕の部屋が完全にフリースペース化していましたね。冷蔵庫のものなんて、誰かに食べられているのが当たり前の日々(笑)。それでも僕はこのとき生まれて初めて、想いを持って仲間と仕事をすることが、こんなにも楽しいことなんだと知ったのです。

僕はもともと、仕事って修行の場だと思っていました。ゴールドマンではすごく充実していて、勉強になることもたくさんさせてもらったけれども、やっぱり常に考えているのは自己成長について。だけど、それ以上に楽しいことを知りました。仲間と想いを共有してできる仕事の価値に触れたんです。その気づきはとても大きく、夢中になりました。くたくたに疲れて帰ってきているのに、家に帰ればとにかく楽しくて、気がつけば夜中二時三時までバッグを売るための仕事をしてしまう。仕事を辞めてマザーハウスに本気で向き合う決意をしたのは、そんな生活が半年ほど続いた頃のことでした。

お客様が、見えない誰かでなくなった日

夜な夜な話をしている中で、お客様が見えない、どこにいるかわからない、という状況に気づきました。当時はお店もなく、少しだけ卸売していたのと、自分たちでECサイトらしきものをつくって販売していた状況だったので、余計にお客様が見えない面があったんだと思います。そこで、とにかくお客様に集まっていただく場をつくろうということで、イベントをやりました。Facebookなんかもない時代ですから、ウェブサイトやブログ上で告知をするほかなかったんですが、それでも40人くらいが集まってくださりました。

イベントでは、「すごく応援しているよ」「こういう思いがあることを大事にしてね」「このバッグ、もっとこうだったら買ってあげられるのに」など、たくさんのありがたいお声をかけていただきました。初めてお客様の顔が見えたその会があまりにも楽しくて、「たとえどんなに会社が大きくなっても、こういうイベントを必ずやり続けます」と約束しました。このサンクスイベントは現在までずっと続いていて、今では1000人を超えるお客様に集まっていただいています。お客様に直接お会いすることには大きな力があり、いつもそこには大切な気づきが必ずあると実感しています。

自分たちでお店をつくる、
マザーハウスの文化の原点

お客様にお会いして楽しい、と実感したら、当然のことながら、お店が欲しいと思いますよね。ずっとお客様とお会いできる場所をつくりたい、と。ただ、お金がないから、今できることをとにかくやるしかないと思い、当時月7万円で借りていた倉庫に見よう見まねで什器をつくって置いてみました。ホームセンターで調達したノコギリ片手に手づくりした什器です。すると、人がほとんど歩いていないような倉庫地帯にあったにもかかわらず、一週間で10万円ぶんくらい売れたんです。ウェブサイトをご覧になって、わざわざ来てくださる方もいれば、たまたまフラッと通りがかりに「おもしろそうだね」と来られた方もいました。

自由が丘や表参道にお店をつくるとなると、保証金だけで1000万、2000万とかかる。そもそも無理だね。じゃあ、この倉庫を使ってなんとかしよう、となるわけですが、それにしたって予算がない。すると代表の山口が「ビジネスプランコンテストで優勝してくる」と言って、本当に優勝し、300万を持ち帰ってきました。でもなぜか半分泣きながら帰ってきたんです。聞けば、「300万円ぽっちで店なんかつくれないよ」とある審査員にバカにされたそう。「山崎さん、本当に300万じゃ店つくれないの?」と尋ねる山口に、「つくるしかないでしょう、お金ないんだから」と僕は言い、自分たちで天井を抜いて、倉庫を改修し始めました。木材屋さんに飛び込みで木材を調達に行って、最終的には150万でお店ができました。家賃は月7万円、工期2週間、改修費用150万円でできたお店で、いいときだと月に売上900万。信じられないですよね。このお店がなかったら今の僕たちはないと思います。

お店を始める前は、「こんなところでお店をやったって、絶対売れないよ」とみんなに言われていました。でもやってみたら、やり方ってあるんです。このときの「お店だって自分たちでつくれる」という経験があるから、僕たちは今でも自社で店舗づくりをしています。自分たちの手で什器をつくり、店舗を設計しています。当時は、後々、この経験が大きな力になるなんて、思ってもみませんでした。

正しさより、楽しさで人は動く

途上国でものづくりをして、それをストーリーとともにお客様にお届けする。行いとしては正しいですよね。でも、その正しさだけでは人は動かない、ということを僕たちは知っています。印象深いのは、お店ができたばかりの12月。とにかくお客様に来ていただきたい一心で、僕はトナカイの着ぐるみを着て店頭に立っていました。すると、「エコノミストの山崎が、今はトナカイ姿で接客してるらしいぞ」と噂を聞きつけたゴールドマンサックスの同期や先輩方が、お店に様子を見に来てくれたんです。こんな理念で、こんな活動をしていく、と正しさを伝えただけでは来てくれなかった方たちも、なんかおもしろいことになってるらしいぞ、となれば来てくれる。しかも、ちゃんと買ってくれるんですよ。稼いでますからね(笑)。

そのとき思いました。人の気持ちは、正しいことより楽しいことで、圧倒的に動かされる。現在でも店頭では、「途上国でどうのこうの」と理念の正しさを押し出すことはほとんどしていません。「いかに楽しいお店づくりをするか」「いかに楽しくお客様にお買いものしていただくか」ということを中心に考えています。

余談ですが、今、マザーハウスは通りすがりのお客様が7割です。理念やプロダクトストーリーが取り上げられがちなので、そこに共感しているお客様が大半と思われがちなのですが、実際はストーリーをまったく知らずに買ってくださる方のほうが多い。そこに、ものづくりの奥深さ、ブランドはやはりプロダクト、という一面のおもしろさを感じます。

主観こそ、最大の資源

僕たちの会社では「君のやりたいことは何?」「何のためうちに来たの?」と当たり前のように問われます。入社前の面接だけではありません。日々仕事をする上で、岐路に立たされたとき、決断が必要なときに立ち返る、原点となる質問。最終的には個人の主観しかビジネスの差別化要因になり得ないと考えているからです。表面的なものではない、本質的な核となる主観こそが強みになる。僕たちの会社が、代表・山口の主観から始まっていることも影響しています。

今でこそバングラデシュは大手アパレルブランドの縫製工場もあったりしますが、山口が単身乗り込んだ2006年当時の状況は現在とまったく違いました。バングラデシュでビジネスすると言えば、10人中10人が「あんな国でうまくいくわけがない」と口を揃える。そんな中で「絶対うまくいく」という気持ちなんて、主観でしかないですよね。だって、誰もうまくいっていないんだから。誰もやっていないし、テストマーケなんて存在しない。主観こそ何かを突破し、未来を切り拓く大きな力になる。僕たちは経験からそれを知っています。

価値観を変えるビジネスには前例がない

こうして断片的にお伝えすると、僕たちは創業以来ずっと順調に成長してきた印象を抱かれるかもしれませんが、もちろんそんなことはありません。バングラデシュで工場を立ち上げてすぐ、機械や原料を全部盗まれて呆然としたこともありました。一号店が大成功したからと、二番煎じで別の場所で出店して大失敗もしています。山口やスタッフの、静かに冷たく流れる涙や、溢れるような熱い涙を何度も目にしてきました。ここでは言えないようなこともたくさん経験しました。

そんな、「いよいよ潰れる」と何度も窮地に追い込まれた経験から得たのが、「KEEP WALKING」という学びです。人の価値観を刷新すること、前例がないことにトライしようとするなら、自分たちが最初の前例になるしかない。それしかないんです。そして、挑戦すればもちろん失敗もあるからこそ、続けることがめちゃくちゃ重要。とにかく少しずつでもいいから前に歩き続けることが大切だと強く思います。

苦しいときに、誰が隣にいてくれたのか

ビジネスに限った話ではないですが、いいときっていくらでも人は集まるものです。でも、苦しいときに助けてくれる友だちや仲間こそ、本物だと感じます。

13年の中で、マザーハウスが本当に苦しいときに入社してくれたメンバーがいます。当時はとにかくお金がなくて、アルバイト形態でしか採用できない状況でした。それでも、大手銀行の正社員を辞めて、うちのアルバイトとして働いてくれたような人が何人もいました。現在、マザーハウスのチーフ(一般的な部長クラスにあたる会社の中核メンバー)の半数は、その頃に入社してくれたアルバイト出身のメンバーです。苦しいときを共に戦ってくれたメンバーが、今の会社を支えてくれています。ビジネスはいいときだけではない。苦しいときも当然ある。それでも一緒にいてくれた人の大切さを、僕は一生忘れないと思います。

率いる者にとって、
僕が大切だと思う3つのこと

1つ目は『Warm Heart, Cool Head(熱い情熱と冷静な思考)』。この両面を使い分けながら、大切な仲間とともに成功確率を上げていく。これがビジネスで非常に重要だと考えています。何をなすにしても、思いだけでは難しい。そこには冷静な思考が欠かせない。でも、冷静な思考だけでもダメなのがおもしろいですよね。熱い情熱がなければ何も始まらないですから。

2つ目は『鳥の目と虫の目(マクロとミクロの視点)』。社会情勢や企業戦略に立脚したマクロな視点と、人や現場と対峙するミクロな視点の両方を持つこと。さらにその両面を自在に行き来できることが重要だと思います。マクロは、ものすごく高いところから、広く物事を俯瞰で見る力。ミクロは、1対1で人と向き合ったときに、その人の気持ちをぐっと動かせるような力。ビジネスを続けていれば、事件は必ず起こります。そのとき、目の前の対象者の気持ちを動かせることと、社会が自分たちに求めるのは何かという認識を常にアップデートできることの両方を兼ね備えることが重要ですね。

最後、3つ目は『Optimistic(楽観的であること)』。僕がとても好きな言葉です。語源の「Optimus」は最善を尽くす、という意味。何も考えていない、お気楽、といったような意味は本来の言葉にはありません。現代は特に、何を考えても悲観的にならざるを得ない世の中。やりたいけど、きっとできないだろうと考えがちで、未来は明るいと考える人はそう多くないでしょう。だからこそ、不安に駆られる世の中が求めるリーダーは、最後まで楽観的でいられる人。最善を尽くし続けられる、絶対に諦めない人。どんなに苦しい状況になっても、絶対にやれることはあると僕は考えたい。やり方はある。未来に絶望しない。それが大切だと思います。

ヒット狙いか、ホームラン狙いか

うちには「ヒット狙い」と「ホームラン狙い」という言葉があります。ヒット狙いはというのは、確実にヒットを狙いにいくアクションのこと。一方、ホームラン狙いは、思いっきり振らなければいけないから、結果的に空振りするリスクがあるけれど、大化けする可能性に賭けるアクションのこと。ヒットを狙いにいってホームランになることはまずない。ゴールを明確化して、今行っていることがヒット狙いなのか、ホームラン狙いなのかを問うことは常に意識しています。このヒットとホームランの組み立てこそ、経営者が考えるべき重要事項だと思います。こちらの目的意識と現場のアクションが一致していないと大変な間違いが起こると考えているからです。

ヒット狙いとホームラン狙い、それぞれの施策に適切なメンタリティーを持つ人材を当てはめられるかも重要です。マザーハウスでは、0-1タイプ、1-3タイプ、3-10タイプ、10を維持する人、とスタッフの素質を表現します。0-1タイプは、例えば代表の山口のような、何もないところから1を生み出せる人。1-3タイプというのは、例えば僕のような、生まれた1をビジネスとしてプラットフォーム化させる人。しかし、僕ももれなくそうなのですが、1-3タイプは継続が苦手なんです(笑)。そこで、きちんと継続して3を10にまで成長させていくタイプも必要。さらに、すでに成熟している事業を安定して継続させる力がある10 を維持する人も欠かせません。個人の資質と課された業務内容にギャップがないことって実はとても重要で、目の前の仕事に楽しく取り組めるかどうかにつながっていくとも考えています。

1人の周りには、
同じような価値観の100人がいる

会場からは、一会社員として、他の社員やパートナーを巻き込んで新規事業を動かしていくヒントを教えてほしいとの声が上がった。

僕らが起業した当時も、誰も話を聞いてくれませんでした。会ってもくれないことがほとんどだったし、「バングラデシュってどこにあるの?」と聞かれることもしょっちゅう。「バングラデシュのタグを外したら売ってあげる」「途上国をビジネスにするなんて」とまで言われました。今でもその悔しさは忘れられません。

何かを始めるときの大原則は、仲間を集めることでしかないと思います。10人いれば、きっとひとりは話を聞いてくれる。おもしろいねと言ってくれる人がいるかもしれない。そういう人を、少しずつ、少しずつ、地道に集めていく。そして、共感してくれた1人の周りには、同じような価値観の人が集まっているものです。だから、その大切な1人を見つけることができたら、見つかったのは1人ではないんです。その人の向こうには、100人の人がいるから。

一方、経営者の立場からしても、スタッフ1人から何か忠告を受けてもすぐには動けないかもしれない。でも、5人まとまって「お話があります」と言われたら真摯に聞くし、改善しなければと思う。だから、まず1人、さらに1人、と仲間集めすることが大事。どこにいても、何をやるにしても、仲間集めからですね。

エピローグ:
誰と仕事をしているかが一番重要

経営者をやっていて一番しんどいなと思うのは、ゴールがないことです。当然、中長期での目標という意味でのゴール設定はあります。しかし、達成したと思った瞬間に次の山が見える。もし仮に、マザーハウスが途上国から世界に通用するブランドになれた日が来たとしても(それすら遠い先のことだと思っていますが)、そのときにはまた別の山が見えているんだろうなと思います。

苦しいときに、何度も立ち返る大事なことは、誰と一緒に仕事をするのかってこと。結局、ゴールドマンを辞めてマザーハウスに来るときに感じた、『仲間という存在の絶対性』なんです。何度も設定し続ける小さなゴールの先に何があるのかを思うと、やっぱり一生懸命一緒に頑張った仲間がいて、その仲間と一緒に過ごした時間がある。目標が達成できたという事実よりも、仲間と共に過ごした時間にこそ最大の価値があるはずです。もし僕が今会社を辞めて、仮に10人の仲間を集めることができたとします。しかし、今マザーハウスに集まってくれている600人ものメンバーを集めることはきっとできないと思う。だからこそ、今一緒にいてくれる仲間たちとこの先もやっていきたい。心からそう思っています。

山崎 大祐
株式会社マザーハウス 取締役副社長
1980年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。大学在学中にベトナムでストリートチルドレンのドキュメンタリーを撮影したことをきっかけに、途上国の貧困・開発問題に興味を持つ。2003年、ゴールドマン・サックス証券に入社。エコノミストとして、日本およびアジア経済の分析・調査・研究や各投資家への金融商品の提案を行う。2007年3月、同社を退社。大学時代の竹中平蔵ゼミの1年後輩だった山口絵理子が始めたマザーハウスの経営への参画を決意し、同年7月に副社長に就任。マーケティング・生産の両サイドを管理する。マザーハウスは途上国でバッグやジュエリーを生産。国内29店舗、香港および台湾7店舗で販売している(2018年6月現在)。
山崎 大祐
株式会社マザーハウス
取締役副社長
1980年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。大学在学中にベトナムでストリートチルドレンのドキュメンタリーを撮影したことをきっかけに、途上国の貧困・開発問題に興味を持つ。2003年、ゴールドマン・サックス証券に入社。エコノミストとして、日本およびアジア経済の分析・調査・研究や各投資家への金融商品の提案を行う。2007年3月、同社を退社。大学時代の竹中平蔵ゼミの1年後輩だった山口絵理子が始めたマザーハウスの経営への参画を決意し、同年7月に副社長に就任。マーケティング・生産の両サイドを管理する。マザーハウスは途上国でバッグやジュエリーを生産。国内29店舗、香港および台湾7店舗で販売している(2018年6月現在)。

運営主体 運営主体

AMDグループは、ブランディングで培っ たノウハウをもとに、
あらゆる企業活動の先にある社会を常に捉え、
企業課題、社会課題の解決に取り組むクリエイティブカンパニーです。