100の自治体が
ラブコールを送る
キャンパー発想の
地方創生
山井 太株式会社スノーピーク 代表取締役社長
2018.10.12
日本を代表するアウトドアブランドの1つであり、野遊びのある生き方を発信し続ける会社、スノーピーク。その代表を務めるのが、自らも2,000泊以上ものキャンプを楽しんできた生粋のキャンパーである山井太さん。日経ビジネス「時代を創る100人」、野村総合研究所2030年研究室による「日本の革新者たち」にも選出されるなど、新たな時代の開拓者としても注目を集めています。新潟県三条市に構える本社「Headquarters」の開放的な雰囲気の中、キャンプの魅力やその本質的な価値、アパレル事業やワークスタイル提案、地方創生に関わる取り組みまで、たっぷりとお伺いすることができました。
以下、容量の関係により、一部内容を割愛させていただきながら、そのエッセンスを余すところなくご紹介します。
「人生に、野遊びを。」 これはスノーピークのコーポレートメッセージです。僕たちは、キャンプ、アパレル、アーバンアウトドア、キャンピングオフィス、グランピング、地方創生など、いろいろな事業を展開していますが、それら全てを「野遊び」という日本語に集約しています。今のところ、「野遊び」はグローバルな言葉ではありませんが、現時点で世界25か国にて事業展開していますので、5年後、10年後に海外に行ったときに、外国の方が「NOASOBI!」なんて使っていてくれたらいいなというのが、僕たちの密かな野望の一つでもあります(笑)。
スノーピークは僕の父が起こした会社です。父は谷川岳という日本でも指折りの名峰の岸壁に魅せられ、毎週のように通っていました。岩登り好きが高じて登山用品を作り始めたのが、スノーピークの原点です。
SOCIAL OUT TOKYOのコンセプトを事前に拝見したのですが、すごく共感するところがありました。「事業の中心に社会性を捉えたサステナブルな企業活動」、「自分たちが本当に楽しい、いいな、と思える取り組みを小さく始める」、「好きの力を原動力にする」といったあたりは、本当にその通りですよね。僕のことかな、って思ったくらい(笑)。
スノーピークも世間から見ればアウトドアメーカーに見えると思いますが、僕自身が考えるコアなミッションは「人間性の回復」です。人と自然をつなぎ、自然の中で人と人をつなぐことを通して、文明の進化に伴って失われつつあった人間性を回復させようと考えています。その手段の一つが山登りだったり、アーバンアウトドアだったり、キャンプだったり。僕らはすべての事業を、この人間性の回復のために行っているんです。
メディアや各機関に次代を創るビジネスパーソンとして取り上げていただけることはありがたいことです。ただ、僕自身にその意識は薄く、僕を含めてスノーピークの社員は皆、自分のことをいちキャンパーでありアウトドアパーソンだと思っています。僕たちは「キャンプというものが持つ価値」を知っているし、信じている。僕自身、人生でトータル2,000泊くらいはキャンプを楽しんでいるキャンプ変態です(笑)。キャンプをすると、心身ともに解放され、人間らしい気持ちと体の状態になるように感じます。つまり、それだけで個人の人間性が回復されているわけです。
現代の文明社会では、たとえ家族のような間柄であっても、寝ている時間以外に共有できる時間はわずかなものですし、ましてや一人の人間同士として正面から向き合う時間なんてほとんどないですよね。ところがキャンプに来ると、ベーシックな人間としての営みを共有できる。テントを立てる作業ひとつとっても、家庭では起こりえないような共同作業を家族全員で行う。細切れではなく、2泊3日ならその間、ずっと一緒に過ごすから、めちゃくちゃ濃密な時間を共有できるわけです。そこから生まれる家族の絆って、密度も深度も濃厚で、すごいものだと思うんですよ。
キャンプではダッチオーブンで料理することが多いんですが、だいたい作りすぎちゃうものなんです(笑)。なので、たまたま隣でキャンプしていた家族に差し入れしたりします。そしたら翌日、お返しをいただけたりして、そこに関係性が生まれる。そこから一生の付き合いが始まるなんてこともあります。本当に、意外とあるんですよ。
そんなたくさんの幸福なコミュニティーの創出から、地方創生って実現するんじゃないかとも考えています。さらに言えば、幸福な地域が集まるといい国ができる。もっと言えば、いい国が集まると地球全体がいい惑星になる。スノーピークの売上の大部分はキャンプ用品によるものですが、僕ら自身は自分たちをキャンプ用品を売っている会社だとは考えていません。僕らが本当に作っているのは、こういう幸せなコミュニティーだ、と考えているんです。
テントがありタープがある、という現在のいわゆるオートキャンプというものは、実は1988年にスノーピークが初めて世の中に提唱したものです。それが今や、韓国、中国あたりまでしっかりと文化輸出されています。2016年に台湾でSnow Peak Wayというキャンプイベントを開催しました。ほとんどが現地スタッフの運営で、お客様も全て台湾の方々という状況でしたが、僕らが考えるオートキャンプがほぼズレなく実現されていました。友達同士での参加は少なく、初めてその場で出会った人たちばかりだったのにすごく一体感があって、イベントが終わった後はコミュニティーが生まれていた。キャンプの力を改めて実感しました。
僕らは「ホームとテントを行き来する服」をコンセプトに、ファッション性と機能性、どちらも高いクオリティーであることを掲げたアパレル事業もやっています。山からそのまま都市に降りてきて、例えばニューヨークの街角あたりを歩いていてもかっこいい服。その上、冬の寒い夜に外で焚き火をしたとして、火の粉が飛んできても容易には解けない素材で作る、など、細部にこだわった服作りをしています。
いくつかあるブランドの中でも最新のものが「LOCAL WEAR」。「その土地を着る。」をコンセプトとしています。まず僕らが、日本古来の素材を使ってワークウェアを作ります。そしてお客様には、実際にこのウェアが作られ、着用されている現場にツアーに行っていただく。ただ洋服を売る、買うということだけではなく、その洋服が製造されている現場を分かち合いながら、日々の暮らしの中で着ていただく。プロジェクトごとに地方産地を限定し、その土地の風土が求める服を、その土地の技術で作り、日本各地の魅力的な「着る文化」に光を当てていこう、という考えですね。
キャンピングオフィスというワークスタイル変革のための提案もしています。4年くらい前に横浜市とスノーピークとで実証実験をやりました。横浜にオフィスを構える企業に参加いただき、午前はいつも通りオフィスで、午後はキャンプをしながら同じ題材で会議をやってもらいました。どれくらいアイデアの量や質に変化が生まれるだろうという実験です。企業人として企業人っぽく会議をするのと、人間性が回復された素の自分で会議をするのとでは、どれほどの違いがあるのかって話ですね。
やはり、環境が変わるだけで、人の表情が全く違うのが印象的でした。午後のキャンプシーンでの顔は皆さんすごく生き生きしている。好きなことをやって、ちゃんと人間らしく仕事したほうがいいですよね、と思うわけです。この流れは広まりを見せていて、キャンピングオフィスのために僕らがテントをお貸しすることが増えています。さらに、アーバンアウトドアの流れも勢いづいていて、住宅区画の中にあらかじめキャンプスペースを取り込んでおき、住まいながらアウトドアできる環境を実験販売しました。こちらも好評で全国に広がりそうです。さらに三井不動産が手がける新しいマンションでは、スノーピークの製品だけでデザインされた部屋があり、建物の中でありながらアウトドアライフが日常として楽しめる提案なども生まれています。
グランピング、グラマラスキャンピングの略で、少し贅沢なキャンプ、というものが最近増えてきていますね。実は88年に僕らがオートキャンプの理想的なモデルを示すまで、キャンプはとても貧しいイメージでした。すぐ雨漏りしてしまうような素材の安いテントを張って、カップ麺をすすって、という感じ。昨今、グランピングの流行からいろいろなスタイルが提案されていますが、僕たちからすれば、「えっ!? それってただのオートキャンプレンタルじゃないの?」「その料理でグランピング? バーベキューと変わりないじゃん!」と感じてしまうような、グランピングとは言い難いものも正直見受けられます。そういった流れから、スノーピークとしてちゃんと僕たちの考えるグランピングを発信していかないとね、というわけで事業を始めました。本格的なグランピングの施設を作り、ツアーも運営しています。白馬で開催したツアーでは、参加者の皆さんが最終的には「人生で最高の体験だ」と言って、ボロボロ泣いてくださりました。
早朝の霧の中でヨガをする、ホテルのシェフが作るアートのようなコース料理を食す、気球に乗って自然を見渡す、乗馬を楽しむ、波一つない湖上を船で行く静けさに身を浸すなど、それら全部の体験を含めて「これこそがグランピングだ」と提案したわけです。なぜこれをうちがやったのか、というと、誰かがちゃんとやって見せないと、グランピング自体がダメになりそうに感じたからなんです。本物を誰かが見せつければ、偽物が何かわかるようになる。最終的に本物が何かというのを決めるのはお客様ではあるんですが、オートキャンプを広めたとき同様、提供する側が志高く、心意気を持ってやることってすごく大事だと思うんです。そうでないと、そのカテゴリー自体がダメになってしまうと思うんですよね。
スノーピークは現在、全国30ヶ所ほどで地方創生事業を行っており、ありがたいことに100ほどの自治体から「我が町にも来てください」とお声がけをいただいています。その一例として、高知県での話をしますね。縁となったのは、かつてアウトドア情報誌「BE-PAL」の編集長だった黒笹さんでした。黒笹さんは東京から高知に移住した僕の釣り仲間。僕の釣り好きをよく知っているので「高知に遊びに来ない? すっごく綺麗なアマゴと、高知なのにイワナも釣れるんだよ」と誘われて。思わず気になって遊びに行ったのがきっかけです。
行ってみると、黒笹さんとちょっとした対談がセッティングされていて、さらにその後、県知事に会いに行くけど来ない?と言われて(笑)。「高知は一周遅れか二周遅れくらいでフロントランナーになれる。産業や工業がないからこそ自然がすごく綺麗なまま残っている。アウトドアしている人間からすると、こんな魅力的な場所ないですよ」と、常々思っていたことを知事にお伝えしました。そしたら「山井さんの好きなところでいいから、高知で2ヶ所、キャンプ場をやってくれ」と(笑)。改めてきちんとキャンプ場のご提案をしたら、高知県が僕らが描いた通りにキャンプ場を作ってくれたんです。そのうちの一つは越知(おち)町にあり、すでにオープンしています。越知町って本来、外から人が遊びに来るような場所ではなかったのに、オープン初日、蓋を開ければ、本州から越知町に沢山のスノーピーカーが駆けつけることになった。まぁ、スノーピークに地方創生を持ちかける際は、釣りを絡めると可能性が上がる、という話です(笑)。余談ですが今年、スノーピークは環境省からお墨付きを頂き、国立公園のオフィシャルパートナーになりました。国立公園の中でもグランピングができる会社になったというのはちょっと感慨深いですね。
新潟県十日町市の話をしましょう。実は十日町市はCity(市)と呼ばれる自治体の中で、世界一雪が降る場所です。自然資源が豊かに残っているし、雪まつりなどもあり、それなりに魅力と集客力のある場所。だけどアウトドアという観点では無名な町で、けっこうダメなキャンプ場があったんですね(笑)。キャンプ場なのに区画的に登山用の小さなテントしか張れないようになっていたりして。市長が「ここ、お客さんが来ないんだよ」と嘆くわけです。うーん、来るわけないですよね。だってキャンプ場なのに張りたい場所にテントが張れないんだもん(笑)。
そんなこんなでコンサルを引き受けることになったので、いろいろ調べました。豪雪地帯なので冬の営業は難しいだろうな、と思ったら、思った通り当時は6月から10月のみの営業でした。コンサルを引き受けるからにはと、実際に春夏秋冬すべての季節にキャンプをしに行きました。そしたら、春の3月、4月が一番美しいことに気づいたんです。残雪が2m、3m残っているところから、ブナの木の新芽が一気に芽吹く。真っ白い景色の中にグリーンの新芽が映えて、本当に美しい光景でした。これをもっと多くの人に見せてあげたい。そこで、3月末から雪上キャンプができるように改修するのはどうですか?と提案しました。そこから生まれた「雪と新緑と山菜のキャンプ」という季節限定イベントはすごく人気が出て、雪原に芽吹くブナの新緑を見ながら、地元の山菜マスターと一緒に山菜採りも楽しめる。一昨年と今年の集客数を比べると350%も増えていて、今後はもっと増えそうな予感です。
もう一つ、大分県日田市の例を。雲海の向こうに阿蘇山が望める標高950mくらいの椿ヶ鼻という場所にキャンプ場があって、市長にうまいこと誘われてそこに視察に行くことになりました。ところがそこも本当にダメなキャンプ場だったんです。十日町よりもっとダメ(笑)。キャンプ愛を感じない看板に始まり、キャンプに来るような人が楽しむはずもない巨大なコースターにローラースケート場。キャンパーが乗り付けるとは思えない大型バスの駐車場。景色の真ん中にそびえ立つ風力発電。おまけに稼働もしていない!(笑) 市長に「なんとかならない?」と言われて、「ムリ!」と即答しました(笑)。景観を破壊する無駄な人工物が多すぎたんですね。しかし市長はすごく熱意がある人で、なんとか改修コンサルをスノーピークで受けてくれないか、と。
そこで、僕たちにしかできないやり方でできることはないかと考え、スノーピークのユーザーさんと「理想のキャンプ場を考える」キャンプイベント(モニタリングキャンプ)をそこで開催しました。日田市を訪れるきっかけとなる講演依頼をしてくれた皆さんと、九州のスノーピーカーたち、そして僕たちスノーピークスタッフがごちゃ混ぜになってチームを作り、ワークショップをしました。そこで上がってきたリアルな声を集約する形で、日田市に対し、キャンプ未体験者でもわかってもらえるように工夫した報告書を提出しました。本来のキャンプにはそぐわない人工物の撤去や、ローラースケート場を撤去して新たなサイトを作ることで稼働率を高める案、サイン(看板表示などのデザイン)計画を適切にしましょうというような具体的なことまでいろいろと。驚いたのは、日田市はそれら全てを自主財源で実現したことです。そこは今、スノーピーク奥日田という素敵なキャンプ場に生まれ変わりました。正直、ここはもしかしたら赤字になるかもなと考えていたんですが、大勢の人が集まり、結果的には初年度から黒字になっています。
奥日田のキャンプ場ができて2年ほど経った頃、熊本地震が起こりました。高速道路が閉鎖される一番手前が日田インターだったんですが、日本中、世界中のスノーピークのユーザーさんに声をかけ、所有しているテントや寝袋を日田に送ってもらいました。もちろん自社にある製品もかき集めました。それらをトラックに乗せて公園に運び入れ、ブースを出して配りまくりました。ユーザーさんから集まった500張に、僕らの新品800張の、合計1300張。これらによって、現地で車中泊を余儀なくされていた方のうち、トータル4,000人くらいの方をエコノミー症候群から救えたんじゃないかと思います。後日談ですが、このことがきっかけとなってキャンプを始めたという方と、昨年のスノーピークのキャンプイベントで出会いました。そういうつながりは心温まるものがありますね。僕はこんな風に見えますけど、スノーピーク、結構いい会社なんですよ(笑)。